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『吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋』は、吉田拓郎、かぐや姫が1975年(昭和50年)の8月2日と日付をまたいで8月3日の2日間に渡って行った静岡県掛川市・つま恋多目的広場での野外オールナイトライブコンサート。“元祖夏フェス”〔拓郎&かぐや姫の“元祖日本の夏フェス”映像がDVD化! - Barks 、BIGLOBE、「吉田拓郎・かぐや姫コンサートインつま恋1975」を配信 、音楽|ヤマハリゾート つま恋 、音楽イベント・コンサートの歴史|ヤマハリゾート つま恋 、「音楽文化・産業論 2008 I」 講師:後藤由多加 「インディーズ創世記」 、『昭和40年男』2013年8月号「再検証 伝説のつま恋オールナイト」、クレタパブリッシング、p122-123〕。 == 概要 == 吉田拓郎が前年の10月に4日間連続でコンサートを行なった際に、もっと大きな場所でコンサートをしたいという考えと、当時のジョイントコンサートは、お客が自分の嫌いなシンガーのステージになると歌を聴かずに勝手なことをやるという状況があったため、"単独のアーティストによる大コンサート"をやりたいという拓郎のアイデアが発端で始まったもの〔ヤング・ギター・クロニクル, vol. 2『かぐや姫 青春という夢・恋・歌』、p75-81〕。当時はまだソロで大規模の野外コンサートをやった者はなかった〔。「ウッドストック」の影響をいわれることが多いが、拓郎自身はコンサート直前の『YOUNG GUITAR』1975年7月号のインタビューで、遠方からもお客が集まるボブ・ディランのコンサートをイメージしたと話している〔〔吉田拓郎~日本初の6万人コンサート開催|TAP the LIVE 〕。日本は狭い国だから同じことが出来るんじゃないかと考え、とにかく広い場所を探してくれとスタッフに頼み、最初は中津川でやりたいと考えたが、紆余曲折あってつま恋になったという〔。もともと一人でやるつもりだったコンサートにかぐや姫が参加した経緯については、一人で一昼夜もたせる程の曲数はないし、体力が続かないという判断から。これをジョイントコンサートと見てほしくない、同じ場所でかぐや姫のステージという別のイベントがあると考えて欲しいと話した。拓郎が「どうしてもかぐや姫とやりたい」とコンサートの4ヶ月前に解散していたかぐや姫を再結成させた〔。拓郎はつま恋を「最後に残された新しい形式」と当時話しており、それまでの多くの改革も戦略的に行なわれてきたことが伺える〔。これまで「商業主義帰れ!」などと、何度も「帰れコール」を浴びて、物を投げつけられたこともあった拓郎にとって、政治色を排除し純粋に音楽を楽しむ文化が未成熟だった時代にケリを着ける意味で、ただ音楽を楽しむ本イベントの成功が必要であった〔。 コンサートの企画、及び運営は、後藤由多加が「ウッドストック」に触発されてユイ音楽工房主導で行った〔「音楽文化・産業論 2008 I」 講師:後藤由多加 「インディーズ創世記」 〕。 またフォーク系の野外コンサートは数年来、退潮が伝えられ途絶えかけていた時代の開催でもあった〔ロック時代=ゆれる標的、1977年、相倉久人、文化放送、p186 Hotwax presents 和モノ事典 1970'人名編、2006年、シンコー・ミュージック・エンタテイメント、p203 アサヒ芸能、徳間書店、2009年6月18日号、p33-35〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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